あの日見た助っ人外国人の名前を僕達はまだ知らない(1)
唐突に新コーナーをはじめてみようと思う。
とはいえ、これはだれかに読ませるためのものではなく、自分自身が次第に風化していく思い出をとどめておくためのものだ。文章としては推敲もしてないし段落関係もめちゃくちゃで思いついたことをひたすら書いていこうと思っている
こうでもしないと、一年で消えていくクソ外国人のことなんてあっという間に忘れてしまう。
そうしてだれも彼らのことを思い出さなくなる。
それはとても寂しいことだと思う。
日本という慣れない土地に果敢にチャレンジして散っていった選手たちに敬意を表して、ここに記しておくことにしよう。
いつの日か、誰かがググったとき
なんの役にも立たない情報が乗っているこのページを発見してきっとこういうのだ
「みーつけたー」と。
ちなみに私は「あの花」を一秒も見たことがないことを先に断っておく
第1回 応援歌が絵文字の男
第一回にこの男を取り上げないのはまずいだろうということで
「サルバトーレ・ウルソー」について取り上げたいと思う。
前年の99年に達川監督が就任してもその弱さは変わらず13連敗で球団ワーストタイ記録なんかも作っていた。そしてオフには主砲江藤智のFAでの移籍。
それでも緒方、金本、野村ら主力はまだまだ元気で打つ方はそこそこやれている状態だったのだが投手はとにかく悲惨だった。
そんななか獲得されたウルソーは左の中継ぎとして期待されていた。
結果としては期待された成績は残せなかったがそれでも実は左投手としては高橋建さんについで二番目に多い29試合に当番しているあたりどれくらい左腕が壊滅的だったのかが分かる。
私はウルソーを最初に見たとき「丸いなあ」と思った。
ザガースキーを見たときとほぼ同じ印象を持ったことはよく覚えている。
会見では75試合当番という稲尾の次くらいの記録を目標にしていて子供心に「バカじゃないのか」と思ったのを記憶している。
その記録は後に同時期をカープで過ごした左腕菊地原投手によって現実となるが(実際には78試合)菊地原もウルソーの無念を晴らしたい一心で野球に取り組んだからにほかなるまい。
草葉の陰から喜んでいるだろう。
カープを去ったあとの彼についてはよく知らない
風の噂では母校のコーチをしているとも、その母校のライバル校に引き抜かれたとも聞いている
いずれ彼の育てた選手がアメリカからやってくるかもしれない
そのときはぜひ広島に通訳あたりで契約してほしいものだ。
最後になったがウルソーといえば
応援歌にある特徴があるのをご存知だろうか
そう、彼の応援歌にはおそらく世界ではじめて絵文字が使われているのである
以下引用
サンサン照らす陽の中
バンバン投げ込む勇姿
ウルウル来ちゃうぜTell me try
突撃だよ~ん (^^)v
令和にまで語り継ぎたい名曲だと思う
追記:
ちなみに・・・
このブログタイトルにもなっている
「カープで一番活躍したのはウルソーですか?」はYahoo知恵袋の質問として有名だが
カープファンは基本頭がおかしいか ウルソー好きかのどちらかしかいないことがお分かりいただけるだろう。