カープで一番活躍した外国人はウルソーですか?

塾講師 兼 助っ人外国人のうルソーがカープとアニメと教育についてグチグチ言います。

アニメハチナイ感想#4

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第4話「分かれ道に立っても」

 令和最初の覇権アニメ(予定)「八月のシンデレラナイン」感想と考察を今回も書いていきたいと思います。

今回は第4話。みんな大好き東雲龍が活躍する回です。

※今回はいつにもまして長文なことをお詫び申し上げます。 

 

 

翼の理由

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 前半は前回からの続きで有原の過去が明かされていく内容でした。

整理すると

  1. 有原は全国大会優勝したにも関わらずなぜ野球部のない高校を選んだのか
  2. なぜそこに野球部を新設しようとしているのか
  3. なぜクラブチームではいけないのか

 ということが焦点となります。

本人から語られた内容はやはりアプリ版とは異なる内容でした。

全国優勝を果たしたあと「みんなとは目標が違ってしまった」と語る有原ですが、この辺はやはり「甲子園」という言葉を出すのが憚られた結果なんでしょう。

そのせいでイマイチなんで野球をやめなくてはいけなかったのかがぼやけているように感じました。

 

簡単にいうと有原も根底では「ガチ勢」だったというだけの話です。

男子と対等にやれる(と自負する)だけの能力がありながらも、規定により甲子園を目指すことが許されていない状況で「遊び」で楽しむ程度の野球では満足できないことを彼女は自覚していたのでしょう。

中途半端になるくらいならいっそのこと全て捨ててしまおうというのが中学生の有原の選択だったと思われます。

 

しかし、まぁそこは野球星人有原翼。その奥底に秘めている野球への渇望をいつまでも隠しておけるハズはありません。とくに親友の河北智恵に対しては。

 

4話の河北の回想シーンはとても良いですね。

とくに「私野球が嫌いだったよ」から始まる一連の説得シーンはとても印象的でした。

有原を野球に取られたという思いから、親友の好きなものに興味が出始め、そして今度は一緒にやってみたいと告げるシーン。

「これからは私も混ぜて」

は有原に野球を取り戻させる最高の落とし文句になりました。

 

アニメ版の有原はここで大きな転機を迎えたのでしょう。

「最高の舞台でやらなければ意味がないもの」から「親友と同じ目標に向かって頑張るかけがえのないもの」へ。

これはそのまま上記の1~3の全ての解答となります。

 

有原にとって野球とは「河北といっしょに高みを目指すもの」でなければならなくなりました。

既に里高に受かってしまった後だったというのもありますが、それでもクラブチームではなく部の新設にこだわる理由はそこなんだと思います。

 

そして有原のいいところは、こうと決めたらとことんその道を突き進むことができる気持ちの強さにあります。東雲に野球ごっこと言われても反論もしなければ、恥ずかしがる様子もないのは、たとえ他人からそう見られていても構わないからです。

自分のやるべき野球はここにあるんだと堂々と胸を張ることができるからです。

 

今回のサブタイトル「分かれ道に立っても」はメジャーリーグで活躍したレジェンドプレイヤー、ヨギ・ベラ氏の「分かれ道に立ったら、進め」から来ています。

その言葉通り自分の信じた道を突き進む有原の姿が描かれていたAパートだったと思います。(ヨギ・ベラは単純に家までの道順を説明しただけの言葉ですが)

 

龍の理由

 4話後半は東雲のトライアウトがメインになります。

ツンデレとかではなく本当に有原たちのことをごっこ遊びと思っている東雲は同好会を邪険に扱う一方、自分をかつて破った相手がなぜそこに満足しているのかが理解できずにモヤモヤしています。

とはいえ今の自分にはそれよりも大切なプロになる夢がある。そしてそのためにはなんとしても強豪クラブのトライアウトを通過しなければならない。だから彼女たちに構っている暇はない。

 

そうやって自分の中の迷いを振り払って臨んだトライアウト会場に同好会メンバーが見学に来ていた時の彼女には同情を禁じえません。あれで余計な焦りや無駄な力みがあったとしたら一生恨まれても文句は言えませんよね。

アニメを見ていたみなさんもなんであの状態から同好会に加わる決断になるのか理解できなかったと思います。私も最初に見たときは「終わらせ方、雑っ!」と心の中で叫びました。

 

入部を決めた理由として描写されているものを挙げるとするならば有原への考え方が変わったからでしょうか。ごっこ遊びだと見下していた有原が野球に対して真摯であったこと、悩みを抱え一度は野球を諦めたことがあることなどを知り見直したと考えるべきなのでしょう。

まぁ それでも河北の件を知らない東雲が取るべき行動は有原を自分の側に引き込もうとする、つまり同好会から引き離そうとすることではないかなと思います。

 

12話で終わらせなければいけない深夜アニメの尺の都合で原作の重要な部分が端折られるのは「あるある」ではありますが、せめてもう1週引っ張っても良かったんじゃないかなと思います。 

 

ヨギイズムの継承者たち

私はこの話にこんな解釈をつけてみました。

 

先ほどすこし触れましたが今回のサブタイトルにはヨギ・ベラ氏の言葉が引用されています。

このヨギ・ベラという人物を紹介すると本名はローレンス・ピーター・ベラ

1940年代おわりから60年代はじめまでメジャーリーグのニューヨークヤンキースで活躍した捕手でワールドシリーズ優勝チームに贈られるチャンピオンリングを10個獲得している唯一の選手でもありました。

彼はインタビューや談話で独特の言い回しを使うことが多く、MLBファンからはヨギイズムと愛されました。(一見深いことを言っている風でとくに何も言っていないことが多いのが特徴です)

例を挙げると

「じっと見るとたくさん観察できる」

「試合は終わるまで終わらない」

などの言葉がそれにあたります。

 

そんなヨギ・ベラは一方で野球に対して常に謙虚であれとも語っています。とくに敗北に対して謙虚にそれを受け入れることが大切だと語ります。

「負けることはためになる経験だ。謙虚さを教えてくれる。もっと努力することを教えてくれる。そして、やる気にさせてくれるんだ。」

 ヨギ・ベラの名言がサブタイトルに選ばれた4話で東雲は過去と現在で二回の敗北を味わっています。シニア時代の敗北はもしかしたら東雲にとって受け入れられないものだったのかもしれません。チームメイトに足を引っ張られたという印象が伝わるような映像になっていたように感じるのは東雲の視点だからなのでしょう。

有原にこだわっているように見えたのも、あの時は自分の実力で負けたのではないと思っていたからではないでしょうか。

 

それに対してトライアウトでの不合格はどうでしょうか。

 

有原を受け入れ、同好会の応援を(半ば強制的に)受け入れ、その日限りのチームメイトを受け入れることができた東雲には自分の実力も受け入れることができたのではないでしょうか。

いくら女子の中で群を抜いている実力とは言え男子の硬式クラブにトライアウト一発合格できる実力ではなかったという厳然たる結果を納得して受け入れることができたからこそ、謙虚になれるしやる気にもなったのでしょう。

 

同時にクラブチームへの所属が叶わなかった東雲は練習場所を確保できなくなってしまいました。バッティング練習だけならまだしも何ヶ月も実戦形式の守備練習から遠ざかってしまうのは非常によくありません。

その点、同好会は学校から部費をもらって練習場所を確保し、経験者として認める有原も在籍しています。その他の有象無象に目をつぶれば練習する環境としては申し分ないわけです。(いちいち家に帰って着替えて練習場所に移動するという手間も省けますし)

さらに部員が少なく、初心者ばかりのチームに東雲が入れば感謝されることはうけあいです。むしろ救世主的に扱われるかもしれません。そうなれば東雲の意見を無碍にすることもできなくなるでしょう。

 

個人的な感情を抜きして冷静に考えればここで同好会に入っておくのは決して悪い選択ではないのです。

 

ただ野球狂の東雲には他人と円滑にコミュニケーションを進める自信がありません。

どうやって同好会に入ることを切り出せば歓迎してもらえるでしょうか。

考えあぐねている東雲の元に天国のヨギ・ベラがやさしく語りかけます。

 

「分かれ道に立ったら、進め」

 

意を決した東雲は自分の信じるままにグラウンドに現れて、唐突に指導をし始めます。

困惑する部員たちと画面の前の視聴者を置き去りに指導を続ける東雲の姿はまさにヨギイズムの継承者だったというわけです。

 

どうでしょうか?

雑に思えた4話が少しは受け入れられるものになりましたでしょうか?

そうだとすればここまで書いた甲斐がありました。

私は・・・自分の説がまったく受け入れられないですけど。

 

おわりに

なんだかんだ言ってもようやく9人揃った同好会。

ついに次回は練習試合が行わるようです。

あのライバルキャラも登場してくるのでストーリーに新たな展開があることを期待しましょう。

 

それでは

 

 

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