あの日見た助っ人外国人の名前を僕達はまだ知らない(2)
今年もこの日がやってきた。
5月7日
あの年の5月7日も今日のように晴れ渡っていたのだろうか。
私にはどれだけ必死に振り返ってみても、もう思い出すこともできない。
第2回 ジェフとクリストファー
2000年、カープは揺れていた。
チームの柱の一人だった江藤智が巨人へ移籍。チームは不動の4番と正一塁手の穴を開国人補強で埋めようと考えた。(三塁手は野村謙二郎のコンバートで乗り切る算段はついていた)
そこで白羽の矢が立ったのはジェフ・ボールという男だった。
サンフランシスコ・ジャイアンツでメジャーリーガーとしてプレーしていたサードの大砲候補ということだった。(実際ジャイアンツでのプレーは2試合のみだった)
当時の私はあまり彼に期待していなかった。ボールを使うくらいなら新井とかいう若手を固定したらいいじゃないかくらいに考えていた。
実際彼はさっぱりだった。
オープン戦での相手の2軍クラスの投手からもヒットがあまり生まれない。
詳しい数字は覚えていないが2割ギリギリくらいだったような気がする。
ただ、なんとなく覚えているのは巨人へ行った江藤もオープン戦が不振で打率1割8分くらいだったから「ボールすげえじゃん!江藤より上じゃん!」などとのんきにはしゃいでいた記憶はある。
そしていよいよシーズンが開幕。相手は江藤が移籍した巨人。因縁の相手だった。
開幕戦にボールは名を連ねた。
試合には勝利したもののボール自身は無安打。悔しい結果に終わった。
次の日はスタメンを外れたものの翌4月2日彼は再びスタメンに戻ってきた。
4月2日 東京ドーム 対巨人3回戦
そこにはもうひとりの主役がいた。
クリストファー・カンバーランド
レッドソックス傘下の3Aからやってきたピッチャーである。
左腕投手不足に悩まされていたカープが「あの」ウルソーとともに一定の期待をもって獲得してきた男だった。
開幕スタートダッシュを決めたいカープはジャイアンツに幸先よく2連勝。大事な開幕3戦目をこの期待の新戦力に任せたのだった。
この試合のカンバーランドの投球の記憶がある広島ファンはほとんどいない。
おそらくバイストン・ウェルの記憶をもって産まれてきた人よりも少ない。
彼は四球1つに被安打3で3失点
アウトをひとつとっただけでマウンドから降ろされてしまったのだから。
ここから試合を立て直すことなど出来ずこの試合は3-7で敗戦。
カンバーランドは2軍行きが決定する。
一方のボールはというとスタメン2試合目にして初安打を記録。
次のベイスターズ戦でもスタメンを勝ち取るが、この試合のあと結局2軍行き。
長打の出ない助っ人にいつまでもこだわっていても意味がないという判断だった。
その後、彼らの姿を見たものはいない…
風の噂では4月25日の二軍での中日戦でカンバーランドが1試合に4ボークという日本タイ記録を樹立したとのことだったが、真相はわからない。
次に私が彼らの名前を新聞で見たのが5月7日だった。
広島球団はジェフ・ボール、クリストファー・カンバーランド両名を解雇した。
開幕から1ヶ月。あまりに早すぎる別れにファンは涙を流すこともできなかった。
下手したら「誰?」という人もいただろうから。
なぜそんなに早く見切りをつけたのか
諸説あるが一つはカープが4月好調で首位争いをしていたこと。おそらくダメな外国人助っ人に頼らなくてもイケるという判断なのだろう。
そしてもう一つの理由が、ある助っ人の調査を水面下で進めていたことにあるだろう。
それはまもなくのことだった。
だがそれはまた別の話。
それから数年の時が流れ私は再びカンバーランドの名前を目にする。
あの例の知恵袋での質問である。
ベストアンサーに選ばれた回答
ウルソーよりもカンバーランドの方が凄かった気がします。
私はきっと10年後の5月7日にも彼らのことを思い出す。
もう顔も思い出せない彼らのことを。