アニメハチナイ感想#6
第6話「これからの私たち」
『ノウミサン アイシテル』でお馴染みみゆはんの歌うOP曲「エチュード」のCMも絶賛放映中のアニメ八月のシンデレラナイン第6話感想と考察を書いていきたいと思います。
ライトフライが捕れた日
前回ボロ負けの中から悔しさを学び、思いを新たにした同好会。
まずはその練習風景から話は始まります。
今回の主役河北智恵が開幕でエラーをかましている一方で、宇喜多は着実な進歩を見せます。ノッカーとしてライトフライを打ち上げた東雲がボールの追い方をみて少し表情を緩ませるのがとてもいいですね。
東雲龍と宇喜多茜。もうふたりはマブダチなんですね。
ライトフライが捕れた日。宇喜多にとって記念すべき日となりました。
しかし、これはいよいよ彼女が地獄の入口に立ったということにほかなりません。
野球に限らずスポーツはなんでも上達に終わりがないからです。
ひとつの平凡フライが捕れるようになったら次はもっと難しい(例えば背走しながら一旦ボールから目を切るとか)技術の習得が目標になりますし、それが練習でできるようになったら本番の緊張感の中でもできるのかという課題が出ます。その日の風や日差しの向きなども球場によって違いますし外野守備ひとつとっても、そう安々と終わりのみえてくるものではありません。
もっと上手くなりたいという気持ちが強ければ強いほど、「なぜ自分には出来ないのか」で苦悩することになり、「こんなもんでいいか」と諦めてしまうかどうかで葛藤が起こります。
ライトフライが捕れた日。それは宇喜多茜がこれから果てしなく続く野球道という修羅の道に足を踏み入れた日でもあるのです。
彼女は皆との帰り道、上達の嬉しさからか「もっとやりたい」というようなことを口走っていましたが、これがいつまでも続けばいいなと心から思います。
親友か戦友か
さてそんな修羅の道に足を踏み入れた女がもうひとりいました。
彼女の名は河北智恵。ともっちと呼ばれる女は前回の夕焼け反省会で自分が周りよりも悔しさを感じていないのではないかということに苦悩していました。
それは自分が初心者だということに甘えていたからか?真剣に上手くなろうとしていなかったからか?自問自答するたびに彼女なかで野球に対する考えが強く強く固まっていきました。
彼女にとって野球とは親友である有原翼と一緒に楽しめればいいというだけのものではなくなっていたのです。有原と肩を並べて同じ景色を見たい。後ろからついていくではなく、同じところに立ちたい。
そのためには今よりも真剣に、厳しく自分を追い込まなくてはいけないということに気づき始めていたのです。
のちにグラウンドの決闘シーンで河北はこう語っています。
「一緒に野球をやるって言ったとき、目指すものが同じになったときから友達の形は変わっちゃってたんだとおもう。」
「私は翼の世界に飛び込んだことに全然気づいてなくって。同好会のみんなに置いてかれてようやく自分がそれを背負いきれていないことに気づいたの。」
その覚悟の一番の障害になっているものに気づいたとき、彼女は愕然としたことでしょう。他でもない一番の親友。自分が野球をする最大の理由。有原翼です。
有原が自分を親友というだけで甘やかしている。弱くて拙い自分が許されている状況に彼女は苦悩します。このままでは自分はいつまでも有原の庇護のもと一人前になれないのではないか。焦りを覚えた河北が提案した自主練も有原には却下されてしまいます。
そこに現れた自分を他人として厳しく扱ってくれる神宮寺との出会いはまさに渡りに船だったのでしょう。河北は「有原の戦友としてグラウンドに立つため」に神宮寺に弟子入りを志願します。自分が望む居場所を手に入れるためには有原の親友をやめるとまで口にして。
この辺を有原は当初、全くの思い違いをしていました。
有原は河北が上手くなりたいという気持ちが空回って、それが焦りに繋がっているくらいに思っていたのでしょう。テストが終わって練習が始まればそれは次第に解消されるものだと思っていたと想像します。
有原にとって河北は恩人です。河北が自分と野球とをつなぎ止めてくれていなければ今こうして野球同好会をつくることもなかったわけです。有原にとって野球をすることは河北と一緒に野球をすることと同義になっています。(この辺は4話の感想を読んでください。)
それゆえに有原は河北が野球をやめると言い出すことを恐れているのではないでしょうか。厳しくしすぎて河北が野球から離れていってしまっては自分が里高で同好会に所属している理由がなくなってしまいます。有原にとって今も昔も野球は親友である河北が見ていてくれることで成り立つものなのですが、今はすぐ隣に河北がいることがなによりも重要なのです。
だからこそ、河北が自分にではなく神宮寺に教えを請う姿をみてショックを受けたわけですし、バッティングセンターでの「野球に必要なのは親友ではなく戦友」という神宮寺の言葉に苦悩することになります。
そして悩んで悩んで出した答えは実に有原らしいものでした。
「それが甘さなら 甘くていいよ」
有原はそれでも苦楽を分かち合い、お互いを思いやれる親友の形にこだわります。
甘いといわれるなら甘いまま強くなればいいというこれもひとつの覚悟です。
人はそれを「相棒」という
すれ違う二人を心配した岩城先輩以下同好会の面々はグラウンドに二人を呼び出し決闘のお膳立てをします。このシーンは部室でお弁当を広げているシーンから始まり、果たし状のシーン、そしてみんなで土手から覗くシーンと二人の問題を仲間が外から見守っているのが微笑ましいですね。
クソがつくほど個人的な問題なのにみんなでなんとかしようと働きかけるのはなんというか大人の世界にはない高校生の素晴らしい仲間意識だなとしみじみ感じました。
そうして周りをヤキモキさせながらもふたりは本音をぶつけ合い、戦友でも親友でもない最高に格好いい「わたしたち」を目指すことになり、よりつよい絆を手に入れます。
この話をみて真っ先に思いだしたのが漫画「フルアヘッド!ココ」のあるシーンです。
ある登場人物が語っていたセリフをひとつ紹介したいと思います。
どんな人間でも 生きていれば
仲間という宝は手に出来る
しかし望んでもめったなコトでは
手に入らない宝がある相棒 《パートナー》
ONコンビ、山本と衣笠、アライバなど
野球界には戦友とか親友とか言う表現では語れない特別な絆を持っているコンビがたくさんいます。それはまさに相棒というにふさわしい関係です。
きっとこのあと有原、河北コンビは女子野球界にその名を轟かしていくのかもしれません。今回はそんな二人が親友から相棒になった。そんな話だったのでしょう。
おわりに
アプリ版でもはっきりとは描かれていない河北サイドの苦悩と本音に迫る名エピソードでした。次回はいよいよ倉敷先輩登場回らしいのでさらに期待が高まります
それでは。