塾講師のぼやき(4)「数と量」
はじめに
塾講師をやっている私が日々ぼんやりと感じていることを書いていくコーナーです。
今回のテーマは「数と量」です。
「計算は出来る」ってホント?
突然ですが「おべんとうばこのうた」に登場するお弁当箱の底面積ってどのくらいでしょうか?体積は?中に入れる具をスーパーで揃えた時の金額は?摂取カロリーは?食べきるのにかかる時間は?シンキングタイムはそれぞれ10秒ずつ。はいどうぞ。
今回はそんな「量」についてのお話です。
「ウチの子、計算は出来るんですけど文章題がねぇ…」
算数の授業についての話になると結構な頻度で耳にするセリフです。
たしかに、数字を決められたアルゴリズム通りに操作していればいい計算に比べて文章問題は問題文中に出てくる数字をどうやって処理していくか考えなければいけないところが難しく感じるのかもしれません。
中学受験の問題になると条件も複雑で、一つ一つの情報を素早く整理していく能力も求められるので大変です。
でもそれとは別の問題として、上記のセリフを仰る保護者さんの子が「計算は出来る」と言えるレベルに達しているかアヤシい場合も正直多いです。
そういう生徒に限って×2、×10、÷10が瞬時に出てこなかったり、÷2と×0.5と×1/2の関係が理解できていなかったりします。
本当に計算だけ出来て文章題が苦手なパターン、実は計算もろくに出来ていないパターン、そのどちらにも共通して数を数字としてしか捉えていない場合があると私は考えています。
数というのは量を表すためのものという側面も持っていて、その場合×2というのは同じものが2つある状態を指すことになります。
例えば175÷5を計算するときそのまま筆算で求めてもいいですが
175と5をそれぞれ2倍して350÷10とすると暗算でも35という答えが出てきます。
175枚の折り紙を5人で分けると考えます。もう1セット、175枚の折り紙を用意して別の5人にも分けてあげたとしても一人分が変化することはないと考えれば分数の約分を習っていない4年生にも理解できると思います。
計算の工夫として割られる数と割る数に同じ数をかけても計算結果が同じということを知っている生徒は多いですが、ただ数字を操作することだけを覚えるより、数量がどう変化しているか(もしくは結果的に変化しないか)を考えられるようになっておくことは大切な気がします。
家から学校まで500km?
さて、話を計算問題以外に移しましょう。
例えばこの時期4年生は学校で分度器を使った角度の計り方を学習します。
塾でも角度を使った問題はたくさん練習しますが、ここで量の感覚が問題になります。
分度器って内側と外側に二種類の目盛りがついていてどちらから計っても180度がマックスになるように作られています。…でちょうど半分の90度が直角なわけです。
ここでどんな問題が発生するかというと角度を計っているうちに内外どちらの目盛で読めばいいかわからなくなってしまう生徒がいるということです。
これについても感覚的に90度より大きいか小さいかを角度の開き方(大きさ)で見てから計れば二つの目盛のうちどちらで読むか迷うことはありません。見た目の大きさ(数量)を目算しておくというのは算数で結構大事です。
それ以外にも3年生はこの時期「長い長さ」という単元でkmとmの換算を習います。
例えばAさんの家から学校までの道のり(1km700m)とBさんの家から学校までの道のり(1km200m)だとどちらがどれだけ長いですか?というような問題を解くことになります。
そして仮に30人生徒がいたら500kmという解答をつくる生徒が必ずといっていいほどひとりは現れます。
もちろんただ単位を書き間違えただけで、本気で500kmが答えだと思っている生徒はいません。問題はその間違いを自分で気づけない生徒がいるということです。500kmという長さ(数量)が東北新幹線で東京-新花巻間くらいだと知っていれば違和感に気づくことができるかもしれませんが、出てきた答えを単なる数字+単位としてしか見ていないと気づけないこともあるようです。なにしろ本人はその場に書いてあった単位を写しているだけなのですから。
そしてこの距離の感覚の鈍さは6年生で速さの単元に入ったとき、その生徒に襲いかかってきます。時速45kmの車の分速を求めよという問題で単に「×60」か「÷60」で換算が出来るという操作だけ覚えている生徒が「分速に直すときはどっちだったっけ?」とわからなくなり×60をやって分速2700kmとかやらかします。
他にも容積の単元で一旦「立方センチメートル」で算出してから「リットル」に直す問題も30cm×40cm×50cmの水槽に60000リットルも水が入るわけないという量の感覚があれば単位の直し忘れはぐっと減ります。
全く別の例ですが、とある高校の試験で金属の融点についての問題が出題された際、鉄の融点に50℃と書いている生徒がいてびっくりしたという話を聞いたことがあります。
その先生曰く「5000℃でも50000℃でも“知らなかったからカンで書いたんだな”と思えるけど50℃だけは受け入れられない。その生徒は赤点を付けられても文句は言えない。」とのこと。これも書き間違いでは済まされない感覚の鈍さです。
ここに書いたのは極端な例であっても、教育の現場で実際に起こっていることです。
うちのような補習メインの塾にはこういう症状を抱えた生徒が毎年「なんとかしてください」と駆け込み寺のようにやってくるのです。
これくらいのお弁当箱ってどれくらい?
上で紹介したような状態にならないためにはどうすればいいでしょうか?
ここをお子さんをお持ちの方に見ていただけているのでしたら、ぜひ「だいたいどのくらい?」を普段からたくさん考えさせてください。
例えば時間。5分ってどのくらいですか?5分あればどのくらい歩けますか?5分で計算ドリル何問解けますか?
例えば長さ。1メートルってどのくらいですか?部屋の端から端まで何メートルくらいですか?お父さんの身長を計らないで当てられますか?
適当に重ねたトランプが何枚あるか予想できますか?
袋に入れたどんぐりを数えないでぱっと見何個くらいあるかわかりますか?
買い物袋に入れた商品が2kgよりも重いか軽いか持っただけでわかりますか?
最初に聞いた「おべんとうばこのうた」の各種質問にスムーズに答えられますか?
当たらなくても構いません。まったくの見当はずれな答えを出さない感覚が大切なんです。数字は量と関係があること。生活に溢れている量は比例や反比例の関係で増えたり減ったりするものがとても多いことを知って、前回がこれくらいだったのだから今回はこれくらいだろうと予想が立てられること。
四則計算を正確に求められることと同じくらい算数には大切な感覚です。
算数が得意な子は小学校2年生で初めて2×2を習ったときに、20×20もできるようになりますし20×19は20×20の答えよりも20小さいから380とすぐに理解できるようになります。(小学校では3年生の最初に習う考え方です。)すくなくとも答えが400より大きくなるはずないとはっきり口に出して言います。
量に対する感覚が備わっていると数字も自在に操れるようになるということですね。
おわりに
もし子どもが文章題で悩んでいたら途中式を指差して「これで求まるものは何?単位をつけて言ってみて?」と訪ねてみてください。そこで口ごもるようでしたらその子は量を意識できていないと思います。数字を操作するだけの「算数」になってしまっている可能性が高いです。
塾に相談するとき、そういった具体的な話をひとつ持ち出すだけで講師の方と問題点が共有できより具体的な指導方法の相談が出来ると思います。
それでは。