カープで一番活躍した外国人はウルソーですか?

塾講師 兼 助っ人外国人のうルソーがカープとアニメと教育についてグチグチ言います。

高校球児の投球数制限について

3月16日 新潟高野連が導入予定だった投球数制限を撤回するというニュースが報じられました。
元々は100球を上限としてそれを超えた者は次のイニングから登板できなくなるというものだったのですが、全国高野連が再考を要請していたため役員会議で撤廃が決定したとのことです。


ここから我々野球ファンが考えるべきことはたくさんあると思います。
そこで今回はこの高校球児の投球数制限について考えてみたいと思います。

この話でよく聞く意見は大きく分けて2つあります。

一つ目は「投球数を制限したところで各校の投げ込み偏重の練習や過密日程による登板過多で肩を消耗することになるのだから意味がない」という意見です。

これはMLBの投手がチーム方針で投球数制限をしても肩や肘の故障者が一切減らないことなどからみても真実なのでしょう。結局一週間でどの程度の強度の投げ込みを何回行ったかとか、試合が何日間隔で行われているかによって故障のリスクは大きくも小さくもなりうるということでしょう。


二つ目は「エースクラスの投手を複数揃えることができないチームは試合を捨てなくてはいけなくなる」「控えの選手が打たれて負けたら全国に通用するかも知れないエースの子がかわいそう」などという不公平論です。

まぁ これについては「本来野球ってそういうものでしょ」というしかないのかなと思います。一発勝負のトーナメントでも複数回チャンスがあるリーグ戦でも、絶対に落としたくない試合というのは必ずありますし、その時チーム内の誰かが足を引っ張ってしまうことはいくらでもあります。それこそエースが満身創痍で投げて試合がぶち壊しになるなら控えを出しとけばよかったと言われる試合だって山ほどあるわけですから。



この二つの視点両方に共通して言えるのは、高校野球の指導者も高校野球ファンも「アマチュア野球はエースが一人で投げきるもの」という美学にこだわりすぎているということです。

マチュア野球であっても中継ぎ、抑えと分業制にすることが当たり前になれば練習から調整方法が大きく変わるはずです。指導者の中には厳しい夏の連戦を乗り越えるためにスタミナをつけなくてはいけないという理由から投げ込みをやらせている人もいるのではないでしょうか。そういった体力をつけるための投げ込みからより実践的なコントロールや変化球の精度向上のためのピッチング練習にシフトしていくべきだとも思います。


公立高校ではそんなに選手を集められないという意見はもっともです。
でもそれは不公平なのでしょうか。
今更高校野球は教育の一環だから機会の均等が必要とかいうクソみたいな議論はなしにしましょう。
他のお金がかかるスポーツで私立が無双している競技なんて山ほどあるわけですから。


私立が強いのはお金をたくさん使っているからです。いい機材、いい環境、いい指導者、いい選手をすべてお金で揃えているからです。とくに選手に関しては日本全国から選りすぐりの選手を集めてきている学校もあります。
そのチームマネジメントをお金のない立場の人が「不公平だ」というのはちょっと違う気がします。
小学校から野球をやってきて強豪私立の特待生として越境入学をしてきた子は尋常じゃない努力の結果そのポジションを勝ち取っています。
彼らは努力の対価としていいチームメイトを手に入れているわけです。いい投手が多い方が勝ちあがりやすいならば、これからの時代はいい選手が集まる高校に特待で入れるように努力する時代になっていけばいいというだけです。
それまでの自分の努力や才能が他人に劣っていたとして、それを理由にレベルの高い方がレベルの低い方に合わせるべきだというのは間違っていると思います。

その結果毎年同じ顔ぶれが甲子園に集まるようになったとしても私は別にそれで甲子園がつまらなくなるとは思えません。
そういう文句を言う人はドカベンやタッチの時代からつづく弱小チームや無名チームの快進撃をみたいというドラマ好きの人たちでしょう。そういう人たちのために夏も21世紀枠を作ってそこでも応援してもらえばいいでしょう。一生懸命さが評価される枠組みがあるのだから毎年同じ顔ぶれにはならずに楽しめると思います。

金のかかるスポーツは金を持っているところが絶対正義で平等なんかありえない。というのはカープファンなら身にしみてわかってるはずですし、カープからお金で選手をとっていくアノ球団やアッチの球団のファンは否定できないはずです。



過密な試合日程の方はどうするんだというかたもおられるでしょうが、そこを動かすことができないならせめて投球数制限をするという発想じゃだめなのでしょうか。今のまま変えずに過密日程で毎試合150球以上投げるのと、過密日程で毎試合100球以内で交代させるのとで本当に全く疲労度や故障リスクは変わらないのでしょうか。いまのままでは良くないから焼け石に水かもしれないけれどやってみることに本当になんの価値もないのでしょうか。

少なくとも、100球制限にしたのに故障リスクが変わらなかったという事実を高野連につきつけてさらに日程問題まで議論していくための布石としては絶対に必要な一歩だと思います。


以上の理由から私は投球数制限には賛成の立場でした。
だから今回の新潟高野連の決定には心底がっかりしています。

この議論は決して絶やしてはいけないものだと思うのでもっと多くの有識者を外部から招いて積極的に話し合ってほしいなと思っています。