あの日見た助っ人外国人の名前を僕達はまだ知らない(3)
ウルソーやカンバーランドが躍動していた西暦2000年。
リーグの向こうに、もうひとつの野球があった。
それから15年。
私は、彼の名前を思わぬところで耳にする。
第3回 夏のエルビラ
カープファンがウルソーやカンバーランドに見切りを付け、ミンチーに全てを託していた2000年。
中日ドラゴンズに加入したメルビン・バンチという投手が輝きを放っていた。
4月1日に7回2/3無失点でいきなり来日初勝利をマークしたかとおもえばつづく7日のベイスターズ戦ではノーヒットノーランの快挙を達成。
「なんでこいつと契約できずにカンバーランドと契約しちゃったんだよ、ウチのフロントはよぉ…」という私の嘆きも虚しく響くだけだった。
余談ではあるが横浜のホテルの一室のテレビでこの快挙を見守ったチームメイトの山本昌投手は13年後の山井投手のノーヒットノーランも同じ部屋のテレビで見ていたらしい。息の長すぎる投手ならではのエピソードである。
バンチはその後も安定したピッチングを続け強竜打線にも助けられ見事一年目で最多勝(14勝)のタイトルも獲得。我らが最終兵器ネイサン・ミンチーも見事12勝を上げ復活のシーズンとなったが一歩及ばなかった。
しかし、今回の話の話の主役は彼ではない。
リーグの向こうにあるもう一つのプロ野球。パシフィックリーグにその男はいた。
今はもうなくなってしまった球団、大阪近鉄バファローズ。
背番号14。
メキシコからやってきた男の名はナルシソ・エルビラ。
2000年前後の近鉄はとにかく投手力に課題があり2年か3年連続でふたケタ勝利投手を輩出できずにいる状態だった。
そんな状況を改善すべくやってきた助っ人の一人だったエルビラはしかし、開幕から首脳陣の期待を裏切りまくっていた。
6月に入るまでわずかに1勝。
6月8日の西武戦は2回3失点、13日の日ハム戦では4回2/3で5失点。
二軍落ちも秒読みの段階と思われていた。
そんな中で迎えた6月20日の対西武9回戦。
西武東尾修監督はカモにしている相手を「冬のリビエラならぬ夏のエルビラだよ」と完全に舐めてかかっていた。
しかし、エルビラは2番清水と3番平塚に四球を与えたものの、前回ホームランを打たれている松井稼頭央を完全に抑え9回まで被安打0でたどり着いてしまう。
最後のバッターがショートゴロに倒れた瞬間
東尾監督は、何を考えていただろうか?
メジャー経験もろくに無いような投手はどこかで打ち崩せると思っていたのだろう。
しかし彼はノーヒットノーランのプレッシャーなど慣れたものだったのである。
実は彼はメキシカンリーグで前年、2度もノーヒットノーランを記録していたのである。打者のレベルやストライクゾーンに違いはあれど、一人の打者の安打も許さないというプレッシャーをかつて2度も経験したことのある投手のメンタルを崩すのは容易ではなかった。
こうして球史に名を残したエルビラはNPBにおける「20世紀最後のノーヒッター」となったのである。
エルビラは結局翌01年まで近鉄でプレーして退団。日本ではこの6月20日以上のインパクトを残すことなく去っていった。
それから15年後…
何気なく開いたインターネットニュースで私は驚愕の記事を目にした。
「元近鉄のエルビラ行方不明。誘拐か」
その数日後には
「ナルシソ・エルビラ氏保護される」
メキシコに戻りサトウキビ農場経営をしていたエルビラは誘拐事件に巻き込まれ警察も絶望視するなか奇跡的に救出されたというニュースだった。
その後検索して見つけたフェイスブックのアカウントには「神よ、この奇跡に感謝します」の文字とともに晴れやかな顔で写真に写る年老いたエルビラがいた。
その顔はあの日 ノーヒットノーランを達成して「ベリーベリーハッピー」とコメントしていた顔とかわらない爽やかなものだった。