今更よりもい論(3)「白石結月論」
1年経っても色褪せない不朽の名作「宇宙よりも遠い場所」を味わい尽くす今更よりもい論
第三回目も一人のキャラクターに焦点を当てて書いていこうと思います。
今回紹介するキャラは「白石結月」
キャラの画像等は公式サイトを見てください。
北海道在住で芸能活動をしている女子高生。学年は高校一年生で他の三人よりも1つ年下。母はマネージャーも務める白石民子。
2002年12月10日生まれ(いて座)。身長152cm。血液型はA型。好きなものは「ケーキ、暖かい場所」。というキャラクターです。
お品書き
1,アリストテレスと白石結月
2,友達がいないとき何をするべきか
3,砂漠と卒業と白石結月
《白石結月論1,アリストテレスと白石結月》
白石結月という少女には友達がいなかった。報瀬、キマリ、日向に出会うまでは。幼少期から子役の仕事をしていたため、学校で友人を作ることができずにいた結月は友人関係をどう始めれば良いか、同持続させれば良いかについて知らず常に苦悩していた。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは友人について次のような言葉を残しています。曰く「友人がいなければ誰も生きることを選ばないだろう。たとえ他のあらゆるものが手に入っても。」と。とくに思春期の少年少女にとって友人とは親や教師、先輩後輩などよりもはるかに重要で手放しがたいものだなのでしょう。アリストテレスの時代から現代に至るまで人は良質な友人関係を求め続けているのです。
結月のリリースしたシングル「フォローバックが止まらない」はそんな結月の心情を見事に表しています。「♪愛されたいその気持ちが先走っちゃうから(歌詞引用)」という歌詞は三人に出会うまでの結月の迷走具合を的確に表す名フレーズでしょう。どうすれば友人が作れるのかわからない少女は手当たり次第にフォローバックをしてみますが、そこに本当に彼女を愛してくれる人間は現れません。アリストテレスはこうも語っています。「多数の友を持つ者は、一人の友も持たない」と。
《白石結月論2,友達がいないとき何をするべきか》
そもそも人には本当に友人が必要なのでしょうか。全てのボッチと呼ばれる人は友達がいた方が幸せなのでしょうか。我々が(そして結月が)友人が欲しいという時の「友人」とは自分の考えを聞いてほしくなったり、相手の意見を聞いてみたくなったりするような存在のことです。たんに人恋しいからつるんでいるような人間関係ではありません。もっと単純に話していて楽しい間柄ということもできると思います。そういう関係は自分も相手もある程度意見を持っていて、そのレベルが似通っている時にしか起こりえないものです。片方のレベルが低すぎると付き合わされている方は退屈してしまいます。
ということは友人がいないとき、我々がするべきは闇雲に探しまわることではなくて自己を研鑽することではないでしょうか。もし語らいたいと思えるような相手が見つかったとき相手を退屈させないだけのレベルを持っていないとその人に友人になってもらえないかもしれないのですから。
そういう意味で結月は図らずも芸能界という荒波に揉まれ、大人たちの相手をする場面が多かったことで自己研鑽を積むことができていたといえるかもしれません。3.6万人のフォロワーに活動を報告し、CDデビューも果たし、南極のレポートを任されるくらいには知名度や信頼度を勝ち取ってきたわけです。結月はやがて訪れる運命の出会いに対してただ座して待っていたわけではなかったのです。彼女が嫌がった芸能人としての活動は三人を引き寄せ結びつけることはしてくれましたが、結月がどこにでもいるようなぽっと出の勘違いタレントみたいな人間だったら、三人に興味を持たれなかったかもしれないし途中で飽きられていたかもしれません。三人がちゃんと彼女の人柄、性格に惹かれて友人になってくれたのだとすれば、それは紛れもなく彼女の努力と研鑽の証でしょう。多少の迷走はあったし、先走って関係を結んだ北海道の同級生とはうまくいかなかったかもしれませんがそういう悲しい経験も糧にできれば今後はもっと友人作りが上手くなっていくことでしょう。
現在ボッチに悩んでいるよりもいファンはまずツイッターで見知らぬ人を手当たり次第にフォローバックすることなんか止めて自分の魂を磨くことから始めてはいかがでしょうか。
《白石結月論3,砂漠と卒業と白石結月》
結月は南極から帰ってきてどうなったのでしょう。船の上で、昭和基地で泣きながら鼻水を垂らしながら真の友情を育んだ彼女はまた北海道でひとりきりになってしまいます。私はこの点については全く心配していません。それは13話の結月のこんなセリフに現れています。
「自分が見ていなくても人も世界も変わっていくこと。」
旅に出る前の結月にとってこれは恐ろしいことだったに違いありません。自分の知らないところで人が心変わりしていくこと。その結果3話では北海道の同級生にグループを外された苦い経験もあります。でも南極から帰ってきた結月はこの言葉をすがすがしさを感じさせる声で語っています。「私達は私達だから」というキマリの言葉に対しても「本当ですかぁ?」という物語前半にはよく聞かれた疑いのセリフをぶつけてはいません。フランスの哲学者サルトルの言葉に「一人でいるときに孤独を感じるなら、あなたは悪い仲間と付き合っているということだ。」というものがあります。結月にとってはこの旅で得たものはその真逆。ひとりで北海道に帰っても大丈夫と思えるほどに強固な絆だったのでしょう。このシーンを見た時私の頭には1つの歌が思い出されました。
charcoalfilterの卒業という歌です。
以下引用
それぞれの季節を越えてまた出会えたときに
思い出よりずっと大切な人の話ができるように
引用終
卒業(別れ)に際して、いつまでも「思い出を胸に」と語るのではなく、次に会えたら思い出よりも大切な人(今)の話をしようというとても前向きな歌です。
長い旅路の果てに結月がこのような心境に至ったのかは分かりませんが、もしそうだとしたらとても喜ばしいことです。そんな彼女に最後にもう一つ引用を紹介しておきたいと思います。伊坂幸太郎が2005年に発表した「砂漠」のラストシーン。主人公の大学生が自分たちの門出に際して述べたものです。
以下引用
四月、働きはじめた僕たちは、「社会」と呼ばれる砂漠の厳しい環境に、予想以上の苦労を強いられる。その土地はからからに乾いており(中略)僕たちはそこで毎日必死にもがき、乗り切り、そしてそのうちその場所にも馴染んでいくに違いない。
(中略)
そしてさらに数年もすれば鳥井や西嶋たちと過ごした学生時代を、「懐かしいなあ」「そんなこともあったなあ」と昔に観た映画と同じ程度の感覚で思い出すくらいになり、結局、僕たちはばらばらになる。
なんてことはまるでない、はずだ。
引用終
世界中の「かつて結月だった人たち」が手に入れた友情がいつまでも続くきますように。
今回は以上です。
読んでいただいてありがとうございました。
今回は以上です。
読んでいただいてありがとうございました。
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