カープで一番活躍した外国人はウルソーですか?

塾講師 兼 助っ人外国人のうルソーがカープとアニメと教育についてグチグチ言います。

アニメハチナイ感想#2

f:id:ulso45:20190426081819p:plain

 

第2話「できる、できない」

絶賛放送中のTVアニメ「八月のシンデレラナイン」感想と考察の第2回目です。

どうやら一回目は多くの人が見ていたらしく、その一部はアプリ版にも興味を持ってくれているようです。本家アプリが賑わうのは存続に関わる問題なのでプレイヤー数増加は素直に嬉しいですね。

 

新規のみなさんはどうやら宇喜多の可愛らしさに釣られてのことらしいです。

(まぁ納得・・・)

 

ですが、第2話はアプリ版ではその宇喜多をもしのぐカルト的人気のあのキャラが登場です。これはいよいよアプリ版もセルランで覇権をにぎる日がやってくるのか?

というわけで早速感想に行ってみましょう。

 

 

アプリ版との違い

f:id:ulso45:20190426081203j:plain

第2話あらすじ(公式サイトより)


 部活ものにありがちな生徒会との対立からの練習場所も道具もないという展開でスタートした第2話。結果から言えば優しい大人たちの協力により道具は格安で手に入り、練習場所も荒れ放題ではあるものの確保できました。

この練習場所確保の流れはアプリ版とはかなり違った展開を見せました。

スポーツショップで出会った同級生の鈴木和香(以下すずわか)をサポート役に加えて練習場所探しをする同好会は掛橋先生の紹介により荒れ放題のグランドを貸してもらえることになります。そこは実はかつてすずわかが大好きな兄といっしょに野球をした思い出の地でもあったのです。

この辺までは多少のディティールの違いこそあれ大体似たようなものなんですが、決定的に違うのがすずわかが管理人のおばあさんと会話して自分の大切な思い出を掘り起こしていく場面がアニメではなかったとう点です。

 

グラウンドの管理人であるおばあさんに記念として贈った寄せ書きを書いたボール。

兄健次郎は「絶対に甲子園にいく」と力強く書き、その横にまだ幼かったすずわかも「おにいちゃんといっしょにこうしえん」と書いていたのです。

まだお兄ちゃんと野球ができることが嬉しくて楽しかった幼少期、その後野球から離れてしまいボールのことも忘れてしまっていたのですがすずわかはおばあさんからそのボールを譲り受け野球に打ち込む決意を固めるのでした。

 

このエピソードは私はアプリ版でも屈指の名エピソードだと思っているのですが、やっぱり「女子野球で甲子園を目指す」というワードがいけなかったんでしょうか?

アプリ版では当たり前のように「男子に混じって野球をやっていつかは甲子園に行く」と言い続けている野球部ですが、アニメ版では全国ネットで放送するとなると「女子野球で甲子園」と誤解される恐れがあるのか徹底的に「甲子園」というワードを排除して作られています。意外とこういう気配りはしっかりしているんなだなと感じますね。

 

正直なところ、すこしくらい表現が違っても寄せ書きボールの下りは入れて欲しかったなと思って見ていたのですが最後まで見ていてこの改変に納得がいきました。。なぜなら今回のサブタイトル「できる、できない」にも関わってくる話だからです。

 

自分で決意してやることの大切さ

 

 今回のサブタイトルはドジャース監督のラソーダ氏の言葉が元になっています。

大体で意訳すると「可能と不可能を分けるのはそれをする人間の決意の差だ」というような言葉です。

 

個人的にこのアニメがいいなと思うところの一つは有原たちが人に何かを強要しないところです。

1話の河川敷での草野球のシーンでも宇喜多が「茜は見てるから」と言ったことに対して誰ひとり文句を言わなかったですし、2話のすずわかの件も本人がグローブを持参するまでは無理やり練習に参加させようとはしていません。(その代わりグローブ持って来てることが分かってからはかなりグイグイきてましたけど) 

人から「こうしろ」と言われてやっていることでは長続きしないし、楽しくプレーできないことを分かっているんでしょう。逆に自分が「こうなりたい」と思い描けている人間は不可能を可能にする力が湧いてきます。

スポーツに自信がない宇喜多が上達を喜んで何度もキャッチボールをしようとするシーンはまさに「自分で選んだことだから難しいことでも楽しめる」を体現していてよかったです。(その結果目覚しい進歩を見せていたのも良かったですね)

 

目指すべき場所はちがっても

 

 前述のとおりアニメ版では「甲子園」は目指しません。

その一因となっているのは監督(=プレイヤー)の不在です。

肩を痛めて投げられなくなった男子生徒であり、有原の憧れでもあった監督がいないことで「二人の共通の夢」であった甲子園を目指す理由が薄くなってしまいました。当然すずわかも兄との約束のために甲子園を目指すという発想にはなりません。

宇喜多の思い出話にでてくる「子供の頃優しくしてくれた人」も監督のこと(だと宇喜多は思い込んでいる)なので宇喜多の野球をやるモチベーションも大きく変化しました。

これこそがこの作品の狙いなのではないかと勝手に推測しています。

宇喜多もすずわかも野球をやる理由が「他人」から「自分」になっているのです。

自分が過去に楽しめなかった野球をプレイヤーとして楽しむために復帰したすずわか。

自分が上達してくことに喜びを見出し練習に励む宇喜多。

「誰かの為」ではなく「自分の為」に野球をやると決意する。

だから無理に思えるようなことでもできる気がする

まさしく「できる、できない」のサブタイにふさわしいアニメオリジナル展開だったのではないでしょうか。そういうわけで寄せ書きボールの描写がなくても十分すずわかの決意は伝わるつくりになっていました。

目指すべき場所が変わってしまってもこれはこれでちゃんとハチナイなんですね。

 

おわりに

というわけで第2話の振り返り終了です

これを書いている時点ですでに3話を見終わっているので頑張って書かないといけないのですが、ゴールデンウィークは家の片付けをする必要があるのでどこまで更新できるか・・・

気長にお待ちください

 

それでは

 

にほんブログ村 アニメブログ アニメ感想へ
にほんブログ村