カープで一番活躍した外国人はウルソーですか?

塾講師 兼 助っ人外国人のうルソーがカープとアニメと教育についてグチグチ言います。

塾講師のぼやき③「読書」

はじめに

塾講師をやっている私が日々ぼんやりと感じていることを書いていくコーナーです。

今回のテーマは「読書」です

 

 

 

よくある質問

塾で保護者さんと面談をしたり、日々の送り迎えの時に雑談していると皆さん国語という教科に悩みを抱えていらっしゃることがわかります。

「学校のテストを見ているとなんでこんな問題もわからないんだろうって思いまして…」から始まる一連の読解問題関連の相談は本当に多いです。

で、次に来るセリフも大体決まってるんですよね。

「やっぱり、家でももっと本を読ませるようにしたほうがいいですよね?そう思って本人には読むように言ってるんですけど…ゲームばっかりでちっとも読んでくれなくて…」

 

毎回この質問にかなり困ります。

自分の中で答えがないというわけではなくて、自分なりの答えをすべて保護者さんにぶつけていいものかと迷うからです。

 

そもそもこの問題は

①読書習慣と読解問題の精度はガチガチな相関関係にあるのか?

②読書は何のためにするのか?

③読書の習慣をつけるためにはどうすればいいのか?

というテーマに分けて考えるべきだと思います。

 

まず①なんですがこれは相当怪しいですよね

もちろん読書をすれば語彙が増える、活字を目で追うスピードが上がる、論旨展開を予想する力が養われるといった感じで読解問題をスムーズに解くアイテムを手に入れることは可能です。

 

でも結局、読解問題は読解問題を解く練習を積まない限り精度はあがりません。

(読解問題の解き方はいずれ書こうと思いますが今回の内容ではありません)

 

たまに、もともとの能力が高くて解けている生徒が「自分はいっぱい本を読んでるから得意」というように語ることがあるせいで「読書=読解問題の点数」のように誤認している人が多い気がします。

 

野球などでたまたまずば抜けた才能を持った選手がいて、その人が実践している生活習慣を真似たら凡人でもスタープレイヤーになれるのかといったらそんなことはありえないのと同じです。

 

漫画とゲームが大好きな生徒でも国語の成績が抜群にいい子はたくさんいますし、いつも読書していても読解問題が苦手な子もたくさんいます。

 

 

読書の目的

じゃあ 読書なんて別にしなくていいのかというと私はそうは思いません。

そもそも読書は国語の点数をあげるという目的で行うものではないからです。

 

私は読書なんて娯楽、息抜きの部類だろうと思っています。

 

学術的な調べ物や論文研究などの場合を除けば、文学的文章でも説明的文章でも私は頭の中をスッキリさせて気分を転換するために読むべきだと思っています。

要は読書は「遊び」の一環であるべきだと思っているのです。

 

楽しいから読む。リラックスできるから読む。好きだから読む。面白いから読む。知りたいから読む。興味があるから読む。

すくなくとも最初に手にとった絵本や図鑑のページをめくるとき、我々はこう考えていたのではなかったでしょうか。

 

それがいつしか、語彙を増やすため、集中力をつけるため、知識の幅を増やすため、新しい考え方を得るため、入試に頻出のテーマをおさえるためと精神的な充足以外の利益を要求するようになります。

そしてついには日経新聞などで読書時間と年収の相関などの記事まで組まれるようになるわけです。

 

こうなると読書はひとつの仕事になり下がります。報酬が支払われるからやる気が出る。かけた時間に報酬が見合わないならやる気が出ない。そりゃあ活字離れも進みますよ。

 

全国の本屋さんに言いたいのは中学受験の参考書のコーナーに「重松清」や「あさのあつこ」の本を『中学入試の国語でよく出ます』のような触れ込みで置かないで欲しいということです。子どもはあれを見た時点で入試のための読書とインプットされてしまうかもしれませんから。

 

世の中にはたくさんの本があって、たくさんの出会いや感動がその中には詰まっているのに自分から遠ざけてしまうのはもったいないです。

 

 

 

読書好きになるためには

読書を好きになって、読書を楽しみのためにやれるようになると、上記の「語彙が~」のあたりからのメリットとされている部分は勝手に向こうからやってきてくれます。

 

そのためにはどうすべきでしょうか

 

一番の方法は仲間を見つけることだと思います。

こんな本を読んだ、あの本のこんなシーンが楽しかった、ということを楽しく語り合える人間がいると読書が楽しいもの、楽しみなものになります。

 

私が本好きになれた一番の理由は母親が読書仲間だったからということだと思います。

母親は保育士をやっていたこともあり、我が家にはかなり大量の絵本がありました。

私は3人兄弟の真ん中なのですが、幼稚園くらいの頃はその絵本を母親に読んでもらうのが何よりの楽しみだったような気がします。

 

小学校になると私の母親は私たち兄弟が夏休みに読書感想文を書くために借りてきた本を勝手に部屋から持ち出して読んでいました。そのうえで私たちと感想を言いあっていました。そうやってと母親と議論していくうちに勝手に考えが整理されていき、いざ原稿用紙と向かい合ったときにはスラスラと自分の言葉がでてくるという状態になっていました。

 

母親は自分が中高生の時に読んで面白かった本を私たちに薦めてくれましたし、私たちも母親に漫画も含めていろんな本を紹介しました。不思議と兄弟間で本について語ることは少なく、兄弟全員が母親と議論したいと思っていました。

それは母親が我々兄弟が束になってもかなわないほどの読書量を誇っていたからで、自分が選んできた本を母親に「面白かった」と言わせたいという思いもあったからだと思います。

 

母親に感謝していることの一つは母親がつまらない本をきっぱりとつまらないと切り捨てる一方で、それを読むなとは言わなかったことです。彼女にとってどれだけ幼稚でくだらない本に思えても「しょうがないな」と苦笑いしながら読むことを許してくれました。これは読書を好きになる過程ですごく大切なことだと思います。

先ほどの話とダブりますが効能の方に目がくらんで「高尚な」本ばかりを読むように強制してはいけないのです。

 

こうして大人になるまで本を楽しんで読んできた結果、語彙力は平凡なままですし年収もあがってはいませんが本が嫌いになったことは一度もありません。

そしてそれでいいと思っています。

すくなくとも私は息抜きしたいときのひとつの選択肢として読書を持つことができているのですから。

 

 

 

おわりに

もし、ここを読んでいる人がいたとして、その人に子どもがいるとしたら、私から申し上げたいことはひとつ。

子どもを本好きにするには親が読書仲間になって一緒に心から楽しむことです。

 

すくなくとも塾の先生に相談したとき「それで?お母様は最近どんな本を読まれましたか?子どもにどんな本を薦めていますか?」と聞かれて答えに窮するようなことだけはないようにしておいてもらいたいです。

 

大人が楽しんでいれば子どもは勝手に真似しますよ

 

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